書き忘れていたのですが、aliceさんのご報告によると、4月13日の信州ロックの出演者は、 倍宝美々、宝千寿、長良澪、神野友美、松本みどりだったそうです。 宝千寿て、ロックの新人なんでしょうか?私も知りません。
記事の中の記述で2、3補足しておきたいことがあります。 まず、「東京ストリップティーズ通信」というのは無論、「浅草ストリップティーズ通信」の誤りですね。 それから、多摩川河川敷きのでの練習うんぬんというくだりですが、今から4年前、 初めて紙テープを手に持った時、練習のため夜中に自宅近くの河川敷きで練習したのは事実です。 なにせいきなりあのだだっぴろいで浅草ロック座で投げる度胸はなかったので。 でも、屋外だと軽い紙テープは風に流されて練習にならず、2、3回で止めました。 結局私の紙テープデビューは、92年の9月、上山田の信州ロック座だったと思います。
紙テープを始めて3ヶ月後、京都はDX東寺に雅麗華チームが出演してた時、 「紙はお金の投げ捨てだからそろそろリボン投げたら」と劇場近くの居酒屋で麗華さんに言われまして、 翌週これまた、信州ロック座で布テープのデビューとなりました。上野発の特急あさまに乗って、 電車の中で買ったばかりのリボンを切って用意したのを思い出します。 リボン投げは、さすがに屋外ではテープが汚れてしまうので、練習できません。 結局劇場で毎日のように投げるうち、少しずつコツをつかんでいったんだと思います。
一方私のタンバリン・デビューは遅くて(音楽関係はとにかく苦手だったので)、 94年8月でした。この時も夜中に2、3回河川敷きにいって練習した(あそこはよく楽器の練習をしている人がいる)と思います。 私にタンバリンを教えてくれたのは小泉ゆか軍団のある方と、そのひとの一番弟子で、 仙葉隊の応援隊長のミヤちゃんです。ですから、私のタンバリンは、 持ち方にしろ、リズムの取り方にしろ、小泉軍団流です。SOLARMANさんにはうまいと誉められましたが、 軍団の達人たちと比べると恥ずかしい限りです。それでも今週の川崎ロックで、 工藤ひとみさんなどから「うまくなったね」と言われるぐらいにはなりましたが。
しかしテープにしろ、タンバリンにしろ上達したのはやはり麗華さんの要求レベルが高かったからだと思います。 一般のファンに対してはともかく、私に対しては遠慮なしで厳しかったからですね。 でも、うまくいった時は記事にもある通り、ほんとに最高の気持ちでした。
もう一つ、記事の中に「裸を見に行ってるわけじゃない」というのがありましたが、 正直言って、やっぱり裸は見に行ってると思います。麗華さんにしても踊りがうまいだけじゃなく、 ベッドも最高で、ほんとにきれいな身体を見せてくれますし。ここは強いていうなら「裸を目当てに行ってるわけじゃない」 というところでしょうか。やはり踊り子さんとある程度親しくなってきて、普段友達のように接していれば、 お互い恥ずかしくて裸はまともに見られないし、ベッドの演技なども遠くから見守るようになります。 これは踊り子さんと仲良くなることの弊害でもありますね。
新着情報にしては大変長くなってしまいましたが、まだ一度も劇場に行かれた事のない方、 あるいは女性の読者の方、『EYE・COM』の記事と写真をご覧になっていただければ、 少しは劇場での応援風景がわかっていただけると思います。ぜひ本屋さんへ行って、 『EYE・COM』買って見てください。写真がカラーでないのがちょっと残念ですが。